すっかり忘れていたけれど、季節はとっくに夏だったのだ。

 

 
 
 
 
 
冷えきった風がエアコンからひゅうひゅうと流れて出て、汗に濡れた額を冷やす。片手にはアイス、もう片方にはジュース、設定温度は24℃。真夏の昼下がり、特にやることもなく一日中だらだらとテレビを点けっぱなしにする。あー、これぞ夏だよね。このくそ暑い中わざわざコンビニまで自転車を飛ばしたのだって、すべてはこの時間のためなんだよ。はぁアイスうまい。
 
「そんな俺の至福の時間を、お前は己の体温で邪魔するのか」
 
「邪魔なんてしてないし」
 
せっかく冷えてきた俺の体に引っ付いて、人様の体温をあげようとしてることが邪魔じゃなかったら一体何なんだ。考えることが苦手がお前のために分かりやすく言ってやると、あつくるしいからひっつくなバカ、ってことなんだよ。お分かり?

 
「ただいま電波の届かないところにいるんで聞き入れられません」
 
…てめぇのアンテナへし折ってやろうか。
 

良く聞きなさい、ヒソカくん。俺だって、恋人に擦り寄られるのは悪い気はしないんだよ。そりゃあな。特にヒソカは言葉での愛情表現が苦手だから、自然とスキンシップ過多になるのは仕方ない気もするさ。今でも俺のこと好きか?って聞かれて頷くのがやっとだもんな。ほんとに嘘みたいだけど、事実なんだ悲しいことに。ただ、俺は今くそ暑い外の世界から帰還して、アイスをむさぼり食っているところなのだよ。涼しくなりたいんだよ。まぁ要は、とっとと離せってことだよヒソカくん。
 
「愛がないなぁ」
 
失礼な。…あるわ。超あるわ。少なくともお前よりかはラブがある自信がある。普段から何考えてんのか分かんねーお前よか、俺は分かりやすい愛情表現をしてる自信もある。さも僕の方が想いが強いです、みたいな言い方しやがって。努力もしてないくせに。心の底から面倒くせぇよなぁと思いつつも、後方に首をひねった。にらみつけてやろう。
 
「やっと僕の顔みたじゃん」
 
案の定、すごくぶっきらぼうで皮肉のこもった言い方をされた。けど。目の前の表情は思っていたものと違う。とても優しい顔をしている。今目に映っているものが愛しくてたまらないという顔だった。そして驚くことに、この色素の薄い瞳は俺だけしか映していない。ただ俺だけを見つめる彼を、俺は初めてちゃんと見た気がした。
 
 
うわ、今までこんな顔で見つめられていたのか俺は。頬に熱がたまるのが分かる。というかそんなことにも気づけないなんて、なんて鈍くさいんだ。こんな、こんな愛100%濃縮還元の視線に気づけなかったなんて俺ってやつは。
 
「なに一人で赤くなってんの?」
 
相変わらずの口調のまま、顔を覗き込まれた。そっけない口ぶりと優しい表情は一致していなかったけど、どっちが彼の本心なのかなんて言うだけ野暮ってもんだろう。どうしたの?言葉と一緒に目の前の形の良い唇が動いた。俺は無意識に自分の唇を舐める。顔はまだ熱い。多分俺が赤くなるなんて槍でも降ってくるんじゃないかとか思われてるんだろうな。本当はそんなわけないんだよ。俺だって好きな人からの想いに気づいたら、嬉しいし、照れくさいし、恥ずかしい。
 
無言のままヒソカの瞳に映る自分と睨めっこしていたら、ふ、と笑う声が聞こえた。何がおかしいんだ。少なくとも俺はちっとも面白くないぞ。
 
「なんだよ」
 
「や、別に?」
 
また愉快そうに笑う。そして、優しさをたたえた顔が俺に接近してきた。
 
妙に張り詰めた空気のなか(というか俺が勝手に緊張してるだけなんだが)、テレビだけが間抜けに音を出している。
右手に持ったカップアイスは形状記憶を放棄したようだった。それより、瞳が…ち、近い。
 
言葉より行動。愛情表現はとりあえずちゅー。こいつはこういう奴だった。お前は、こんなに俺への愛や優しさを瞳に閉じ込めているのに。それを言語化することは出来ないのだ。冬に一度確信した事実だったじゃないか。そう思うと俺にも少し余裕が戻ってくるな。そうだ、くるならこい。キスのひとつでも受け止めてやろうじゃないの。お前と違って、俺は色々と努力したんだから。キスをされたって、お返しにデコチューくらいは出来るようになった。
 
 
 
素直に目を閉じると、またしてもくすくすと笑い声が聞こえた。んん、耳元近くで聞こえるから、くすぐったいよ。
…耳元?
 
「ねぇ、」
愛しています、よ
 
…吐息みたいな声が聞こえた。
 
心臓が口から跳ね出た。な、なななにいってんだおまえ!
なんで敬語?とか、いきなり何?とか、言うことはあったんだろうけど、それよりせっかく朱が引いた顔にまたしてもかああと熱が集まるのを感じる。断言しても良いが、俺は今ものすごくひどい顔をしている。あわあわする俺をよそにヒソカはとびきり優しい声で、言って欲しそうな顔してたから、と微笑って今度こそキスをよこした。よく見たら耳は真っ赤だったし声もどこかぎこちなかったけれど、何にせよヒソカにこんなこと言われたのは本当に初めてだった。
 
 




そうだ。

すっかり忘れていたけれど、季節はとっくに夏だったのだ。


冬をこえ、春をこえ、あのゆるやかな冬から随分と時間がたっていた。油断していた。というか、ヒソカがいつのまにあんな表情をつくれるようになっていたのかも気づけない俺に、気づけるはずがなかった。ヒソカだって、俺と同じ季節を過ごして、恥ずかしい言い回しだけども、愛とやらを育んできたわけで。つまりは、俺に
愛を囁くことだって。
 
「僕なりに」
…頑張ってみました
 
見慣れない、照れくさそうな笑顔を俺は見た。自分でもきゅんと胸が締まるのが分かる。たまらなくなって、どろどろのカップアイスを机に追いやって、抱きつき返してみた。テレビも消した。何とかこの気持ちを伝えたくて、でも結局デコチューが俺には限界地点。また笑い声が耳元で聞こえて、それでもいいと言われた気がした。どうやら、努力不足は俺の方だったらしい。